いわゆる地獄という集合意識

あまね理樺です。

先日録画していたインフェルノという映画を観ていたら、
今までだったら絶対起こらない感覚に引き込まれそうになりました。

最初のシーンで頭を撃たれた主人公が幻覚みたいな世界に入るんだけど、
それが妙にリアルで。

その地獄のような風景って、ダン・ブラウンの世界にはよくあるものなんだけど、
「あり得る!」という感覚に襲われたんだよね。
なんでかというと、この前の死にかかったという体験のせいだと思う。

それで、
その、「いわゆる地獄」ってやつ。
それって存在すると思いますか?

ある人がそれを強烈に信じる時、
そこにその現実が実在する(かに見えるようになる)。

これが意識の力なんです。

そして、その作り出された「現実」を信じる人が多ければ多いほど
もしくは誰か一人でもものすごい意志力でそれを信じれば、
それは実在としての力を増していく。

信じるパワーって、ほんと、無限大なんだと思います。
(よくもわるくも)


そのリアルな闇の世界が本当に存在しているんだろうか?
本当に存在していたらどうしよう?って思いました。
まるで取り込まれそうな引力がありました。

そんな経験の中での答えは、
「これは私のものではない!」ということでした。

じゃあなに?


集合意識の中にあったのですよ。
その風景。

もちろん、それを今生、今のタイミングで感じるということは
私の中にその要素が発現したというのが大きな理由なんだけど
(自分が死にそうな目にあったこと)
その経験によって意識の扉が、その集合意識に向かって開かれたという。


だけどわかったのは、
それさえ「現実ではない」ということ。

これって、ほんと、宗教の罪だと思います。
地獄というものを作り出して、人々を脅して従わせる。
それを信じた人々が、さらにそのバーチャル空間を強化していく。
それが何世代にも渡って強化され、集合意識の中にしっかりと根付かせている。


インフェルノで描かれたその幻視は結局、
実際の地獄の絵を見たことで脳内が象徴的に変換した情景だったんだけど、
イメージの力でそれだけ絶大なパワーを持った空間が
出現しうるということが怖いなあと思いました。


それで何が言いたいのかというと、
ほんと、「すべては幻想なんだ」ということ。
でも、そこにパワーを持たせることは出来てしまう。


で、必要なことは
まず、自分が何かを感じた時、冷静になって
「これは自分のものなの?」ってちゃんと自分に聞いてみることです。
自分のものでないものはどんどん捨てちゃいましょう。

人間って、本当はエネルギー体で出来ていて、
明確な区切りは誰にもありません。
常に何かと触れ合い繋がっている。


今感じている感情さえ、純粋に自分のものかは微妙です。
それは隣の人の感情を感じている場合もあるし、
通りすがりの人からももらうし、
また、結構気づかないのが、上に書いたみたいに
集合意識の中の情報を拾っちゃっている場合もあるということです。


それに気づけるようになると、意味なく落ち込んだり、
恐かったりする機会も減ってくると思います。


そして、そういう視点を持っていることで
わかる何かがあると思います。


あとは、そういう階層に意識を向けないことですね。
意識の性質として、「見つめるものにエネルギーを与える」
というのがありますから、ジーッと見れば見るほどその世界が開かれます。
そういう意味でも自分で作り出すことに参加してるとも言えちゃいます。




いや、もう、地獄なんてさ・・・・

これ、多分、
キリスト教を信じてた過去生の私の価値観でもあると思うんだけど、
そういうもので人を縛るのはやめて〜〜〜。

その時の自分も解放して、
今の自分の恐れも解放して、
その意味のわからない罪悪感から自由になりました。

人って美しい。
魂って素晴らしい。
そう思います。


私が何にエネルギーを与えたいか。
それはやはり平和であり、調和であり、光の世界かな。



関連記事

  1. 没頭力

  2. 自分自身との向き合い方(会員限定)

  3. エゴな生き方からハイヤーマインドに導かれる生き方へ

  4. 許さないメリット

  5. 拒絶の傷を癒そう

  6. 恐れはリラックス

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。