あまね理樺です。
「恐れを手放したい」というご相談をいただきます。
あなたの恐れはどんな時にやって来ますか?
ボイジャータロット の講座でもやっていますが、
恐れというものは「今この瞬間にない」というのが特徴です。
未だ起きていない出来事を想定して、それに対して意識を向け続けているのが恐れの正体です。
それは未来への心配、過去の経験、誰かが言ったこと、何処かで聞いた情報など。
まだ「起きていない」ので、今この瞬間において消すことができません。
そうは言っても、「恐れるな」というのもまた無理なこと。
恐れは自分で意図していない時にもやって来ます。
そんなことを思っていたら、とてもいい方法をOSHOが言っていました。
インド人の思想家です。
今はもう扉の向こうへ行ってしまいましたが、私はOSHOの説話が好きです。
*抜粋で掲載しています。
恐怖がそこにある、という事実を受け入れなさい。
が、恐怖については、何もしてはならない。
それを無視しなさい。
体を見守りなさい。
恐怖は、体に根付こうとして、 緊張状態をつくる。
体がくつろいだなら、恐怖は必ず消え去る。
くつろいでいる人は、恐がることが出来ない。恐怖は、体に根付こうとして、
そこに、ある緊張状態をつくる。体がくつろいだなら、恐怖は必ず消え去る。
くつろいでいる人は、恐がることが出来ない。あなたはくつろいでいる人を、恐がらせることは出来ない。
たとえ恐怖がやって来ても・・・
それは、波のようにやって来る・・・
それは根を張らない。恐怖が、波のように来ては去り、
しかも、あなたが、
それに、触れられないままでいることは、
美しい。恐怖が、あなたの中に根付き、
そして、あなたの中で成長し出すなら、
それは、腫瘍、がん腫となる。その時、それは、
あなたの内側の有機体を、そこなってしまう。だから、いつであれ恐怖を感じた時に、
気をつけるべき、ひとつのことは、
体は、緊張しているべきではない、
ということだ。床の上に横になり、
そして、くつろいでごらん・・・
私たちが変化すればするほど、
恐怖がやって来るからだ。あらゆる変化は、恐怖を生み出す。
というのも、あらゆる変化はあなたを、
よく知らない未知の世界へと、連れて行くからだ。もし何も変わらず、すべてが同じままであるなら、
あなたは決して、恐怖を持たない。もし、すべてが死んでいるなら、
あなたには、恐れるものがない、
ということだ。
すごくないですか?
私はこの内容にとても同意します。
恐怖はカラダに根付く。
そう。体に根付くということは、潜在意識に入るということです。
潜在意識に入るということは、反応として常に現れるということです。
潜在意識下に入った情報は、本人のコントロールの領域を超えます。
そして、自分でも気づかないうちに反応してしまうのです。
恐れったら、そんな風に人の心に侵入していたなんて!
それを逆手に取り、体をリラックスさせることで恐れを根付かせないという方法は秀逸だと思います。
出ないようにするのではなく、
感じないふりをするのでもなく、
出たら出たがままにリラックスして見送るのです。
恐れとは、最初に書いた通り、絵の描いた餅です。
実際に今この瞬間にそれは起こっていません。
ゆっくりと通り過ぎる通行人のように横切らせ、
自分はベンチにでも座ってリラックスしてればいいのです。
私たちは人間である限り、肉体を持っています。
肉体を持っているがゆえに「死」や「失う」ことを恐がります。
なので常に何がしか恐いものが現れるのでしょう。
これを止めること自体、自分の生存にも関わりますので、
恐がるのをやめる必要もないのです。
覚醒のルートとして、自分を客観的に見ることができるようになるというのがあります。
その感覚と通じますね!
ゆったり、リラックスして見送る。
なんて素敵な方法でしょう!
そして、体が緩んでいることこそ、すべてとの繋がりを感じるためのもう一つの方法でもあるのです。
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