人にはきっと突かれたくない痛い場所があるのでしょう。
私は先日寝起きに「もうそんなに長く生きないかもな」という感覚を覚えました。
問いかけてみたら「65」という数字を感じました。
65歳・・・
あと20年弱
もうすぐだなあと思いました。
もし、それが真実だとしたら、
私は何をやりたいのか?
今の私を続けていて、それでいいのか?
今の私に全く違和感を覚えていないなら、それでいいのだと思います。
でも、私は何か違う気がする。
あと、20年弱、このやり方、ペースで仕事を続けて行きたいのか?と問うたとき、
そうじゃないなあという感覚が強いのです。
例えば、人は生きていかなくてはいけません。
歳もとるし、老化するし、今の生活がずっと続くということが保証されているわけでもない世の中で
出来るだけ、「今」にエネルギーを貯めていたいと思うのは間違いないでしょう。
で、
地位を向上させようと努めたり、
できるだけお金を稼ごうと思ったりします。
それで、たくさんの時間をその目的のために費やしてしまいますが、
有名になったからとて、それは向こう側の世界に持っていけません。
唯一持っていけるのは、経験。
どんな経験をしたのか。
もちろん、経験にいい悪いはなく、どんな経験でも尊いものですが、
私の感覚だと、今生に持ってきている『課題』というものがあるように感じます。
簡単に言ってしまえば、
「その課題を終わらせるためにこの地上に降りてきた」ということです。
なのに、現世御利益にばかり夢中になり、
その警報を無視し続けていたとしたら、
多分、もう一度その課題をやりに戻ってこなくてはいけないでしょう。
なんのために生まれてきたのか?ということを考えると
魂というものは、『覚醒』するために生まれてきたのだと思うのです。
何度も何度も同じ体験をするためではないはず。
人生に行きづまり感や、何回も繰り返される問題に辟易しているとき、
それがきっと『課題』です。
新しい経験を欲するなら、何を捨ててもそこをやるしかないんだと思います。
繰り返されているくらい避けて通りたい、
もしくは、あまりにパターン化している課題ですから、
なかなか手放すことは容易ではないんだと思います。
だけど、
人生の残り時間を考えたら、そんな悠長なことを言っていられる時間はありません。
今の人生をもっと楽しく晴れやかに生きるために
手放さなくてはいけないもの、それが『現世御利益』だと思うのです。
その損得でのものの考え方はきっと愛とは遠いところにあるのでしょうね。
では、自分の課題にどうしたら気付けるのか?
それは前述した通り、自分が繰り返しているパターンに気づくことです。
「どんなことが起こったとき、うまくいかなくなるのか」
その底にある、自分の意図とは何か?
それを手放してみましょう。
私の場合はお金のブロックでした。
少しでも多くのお金が手元にないと不安なのです。
そして同時に、誰からも好かれていたいというブロックも。
この底には、子供の頃の出来事や痛み、
過去生での出来事、自分を守らなければいけなかった理由など、いくらでも言い訳は可能です。
でも、そこに逃げ込んでいては、何も解決することはできない。
どんな黒い意図であれ、その自分にとっては、結局「生存したい」という意図に基づくものがほとんどです。
そんな自分を責めることはできないし、必要もない。
ただ、そのやり方では、何回もおんなじ人生を繰り返し繰り返し味わうことになるようです。
また、それは、今の人生でも、手を変え、相手を変え、繰り返され続けます。
そして、痛みを追うのはやはり自分自身なのです。
勇気を持って踏み出してみる。
それしか方法はありません。
やったことのない方法だし、そもそも怖くてしがみついていた方法ですから、
手放すことは容易ではないかもしれません。
でも、思い切って、手を放して飛び込んでみたら、
新しい世界が手を広げて待っています。
笑顔の自分と、
笑顔の高次元の自分と
それに纏わっていろんな配役をしてくれた魂の仲間達が、
大きな笑顔で待っている。
そして、やっと次のステージへと昇格できるのです。
これこそが魂が求めているもの。
そして解放のルールです。
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