許さないメリット

あまね理樺です。

人というのは成長して行くもので
感じ方、考え方というのは、その時々で変わって行きます。

だから私も、
過去の記事を読んだりすると恥ずかしくなることは日常茶飯事。

でも、その時一生懸命生きていた自分を思うと
それはそれでよかったんだと言ってあげたい。

例えば、
スピリチュアルに興味を持ち始めた始めの頃は
それこそ、手がビリビリしただけで大騒ぎしたもんです。

 

ものの捉え方は幾層にもなっていて、
その時の興味や成長のラインによって変わって行きます。

自己価値を持ちたいと思って生きていたら、
「価値ある自分」を一生懸命見つけようとするだろうし

すでに自己価値を感じられるようになっていたら、
「何もなくても大丈夫」な自分になっているでしょう。

この心の位置、というのが大切ですね。
最初の位置がすべてを決めている。

そこが振り返ってみると、本当、恥ずかしいのです。

ガツガツしてたり
クレクレしてたの、見る人が見たらもう、隠しようもなく見えていたんだろうなって。

 

おんなじ様な経験した人いますか?
でも、それでも
それを経験したからこそ、今の自分があるんだと自信を持って欲しいのです。

欲しいものは欲しい。
なりたいものはある。

「あったよね〜」
「がんばったね〜」

と言ってあげてください。
きっとそこから、また次のステージが待っています。

 

 

自分への許しって、結構ハードル高くて、
完璧主義なマジメさんほど自分のこと許せない。

許さないことで起こってるメリットってなんだろうな?って
今の私が考えてみると

許さないことで、「ない」ことにしてるかもね。
見なくて済んでる、
あるの薄々気づきつつ「そんなはずはない」って覆いをかけて
更に自分を頑張らせてるのかも。

「精進せいやー」って。

あー、そうするとね
常に常に頑張り続けなくてはあかん自分が生まれて来るんですね〜。

若いうちはまだしも、
年々それを積み重ねて来ると、
どんどん自分とのギャップが広がって来るわけだから
更に出来ない自分を認める(許す)ことは出来なくなってくるのかもね。

そういう風に考えていたら
プライドなんてどうでもいいやーっていう気分になって来ました。

出来ない自分も許すし
いい加減な自分も許すし
すぐ人のこと好きになっちゃう自分も許すし
傷つきたくないから好きを隠す自分も許して
どうでもいいやーってなったら、本当、楽かもしれないですね。

フフフ。

こうやって書いてるだけで
すでに楽になっているワタシ。

許すって実はそういうことかもしれないな。
許さないって実はそういうことかもしれないね。

 

人の行動って、結局は自分にとって何かしらの裏メリットがあるんです。
裏なので自分を正当化してるうちは気づきにくい。

この入り組んだ心理戦を制するには、ズバッと言ってくれる人といるのもいいかもです。
そりゃー痛い思いをするでしょうけど、
その後、そうやって自分を守って来た可愛い自分を愛おしいなあって思ってあげられるかもしれません。

私がどうしてこんな風に、公開して自分のこと書いてるかっていうと
私にとって、自分のダメな側面に光を当てることはそんなに恥ずかしいことではないからです。

なぜなら、気づけば変わるから。
すでにそれは過去の私になるのです。

でも、まあ、
最初に書いたみたいに、
大したことではないのに、本気ではしゃいでた自分を思い出すと恥ずいですわ。

けど、そういう経験しててこそ、
それも成長の過程だよねと思えるのです。

 

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